5月20日 さむい

今日は絶対しゃきと日記は終わらせよう…疲れた…。

今日は起きて、本業の会社に出社して記事を1本書いて、そのまま副業先のオフィスに…と思ったら赤坂のシーシャ屋に招集された。そのあと六本木のシーシャ屋にハシゴして、またなんかザクロのシーシャ吸った気がする。赤坂で吸ったシーシャはスイカ?にしたかな?と思ったけど忘れてしまった…六本木では例の如くザクロを吸った。いつもすっきりで作ってもらってたけど、甘くして~って言ったら、確か、梨かなんか入れてくれて、うまかった。

まさか9時間もマーケティングの話を聞くことになるとは思わず、さすがに疲れた…先週私は「広告」を完全に理解したばかりなのに、今日は「マーケティング」をほとんど理解するはめになった。いやもう…多分理解できてないんだけど、理解した、というていで仕事を進めないと何も進まないので、そういう意識でいる。私は…何をさせられているんだ…。

なんか完全に無意味と思うんだけど、目先にわからないことがあったら追求しちゃうし、目先に課題があったら解決したくて頑張りすぎてしまう。成果がわかることって楽しいしずっとやりたくなるけど、そろそろペース落として受験勉強しないといけない。あと、書きたい話もある。趣味のほうにも、大学で発表するもののほうにも。わかっちゃいるけど、友達と話しながら何かについて考えたり、考えたことをもとにシナリオを作るのは結構楽しくて、私は寝る間も惜しんでやりたくなってしまう。

よく『完全に自虐』として器用貧乏を自称するけど、まあここまで努力するから、跳び箱と逆上がりと算数以外のことはだいたいできるようになってきた。そして『まあまあできるようになった』ら私は途端に興味を失う。自分の『できる』に満足できない、不幸な性格だと思う。

私は経営者になるでなし、広告がしたいわけでもなし…頑張る意味もないのに、ただ目の前のタスクを完璧にこなしたくて、ある程度極めるまで他のことは何も見えなくなってただただ突っ走ってしまう(ブレーキがない機関車みたいだから辞めろ、とよく本業の上司には怒られていたなあ、懐かしいなあ)。普通に悪い癖である。あれもこれもと頑張ってたら何者にもなれない!そんな予感はめちゃくちゃする。

今日はヘロヘロになって帰宅したのに、マーケティングのことが頭から離れなくて、ずっと他社の広告を見て考え事をしていた。私、こんなことしてていいのかなあ。やるべきことはあるはずなのに、できないこと、ちょっと頑張ったらできそうなこと、があると我慢できなくてやり続けてしまう。早くできるようになりたくてたまらない。こんなことを書いたら一緒に働く友人に気を使わせてしまいそうだけど、別に負担に思っているわけじゃない。私は今、純粋にすごく楽しい。今だって、正直言ってブログなんて書いてないでシナリオを書きたい。

今日は本職のほうで、くだらないweb記事と、あともう一つ、別の媒体の企画出しがあった。web記事のほうはほんとうに存在価値を疑っている案件なのでさておき、もう一つの媒体の方は私の中では結構お気に入りのもので、ポッと出の副業と比較したら全然大事な仕事だったはず(まあどっちもたいしたものではないけど)。なのに驚くほど身が入らず、ほとんど何も考えることなく書いて提出した。ある程度は大事な案件だったはずなのに、私の意識はもう完全に副業に向いていた。

今は極めたいことがあるから、その他のことはどうでもいい。でもそのその他の中に、いままで大事にしてきた仕事が含まれてしまったのか、と思うとちょっと残念だった。

マーケティングの件で盛り上がっていたタイミングで、普段は関わりの無い上司から電話がかかってきた。熱心に書いたはずの取材記事に関しての問い合わせだったのに、担当者の名前や当時の流れを一切覚えていないばかりか、私はその観光地の正式名称さえ言えなくなっていた。何度も言った名前で、何度も書いた名前だったのに、全然思い出せなかった。「じゃあね」と言って電話が切られそうになって、私は思わず「元気ですか」と問いかけてしまった。そして「また取材に行きたいです」と言った。その上司は「行けるといいけど、無理かもね」と言って、いつも通り笑って電話を切った。好きな上司だったし、好きな仕事だったし、楽しい取材だった。それなのに今は全部過去形になっちゃって、私は全然関係ないことに勝手に熱中している。

直属の好きな上司に「余計なことまで頑張りすぎるな」と叱られたいし、「そんなことまでできるようになったの!?」と褒められたい。社用のPCにつけっぱなしだった「富士山は雨だと見えない」という付箋を必要とする日が、また来て欲しいと思う。