5月19日 気圧やべ

今日はなんか仕事してた。仕事してたからとくに考えることもなくて、ただシーシャを2回吸った。シーシャはうまいなあ。シーシャの煙がうますぎて、煙草が吸いてえーーーーという感情が失せた代わりにシーシャ吸いてえーーーになってしまった。今は副業先の経費でドカスカシーシャ吸ってるけど、辞めたらヤバそう。金銭的にも、労力的にも。

今日もなんかこまけーことは忘れたけど、ザクロのシーシャを吸った。今よりもうちょいやる気があったときにネットで調べてみたら、ザクロ・ローズ・ロゼワインのミックスをおすすめにしてるシーシャ屋がいくつかあったので、いつか試してみたいなって思ってる。フレーバーなのか???ボトルにワインなのか???調べてないけど、逆にそれ以外のMIXがほとんどなかったな…ザクロは多分そんなに人気でもないし、かといって知る人ぞ知る的な感じでもなく、普通にマイナーなフレーバーなんだろうと思う。うめー!と感激することもないし、まずかったこともない。だいたいいつもの味がする。私はただひたすら「これこれこの味ね」と納得したいので一生ザクロを吸っているけど、なんかもう一個くらいオキニのフレーバーみたいなのがあったら楽しそうだな。でも今のところそんなに好きなものもない。パンラズナは美味しいし寺の味がするから、日頃の行いが悪い例の同期に1度吸わせたいなと思っている。

仕事の話だと、今日はまあまあ上手くいった。上手く行きすぎて社長をテンパらせてしまったりもしたけれど、本来ライターが3人かかりで5日かけて書くものを、1日で2本あげたのは普通に才能があったと思う。

最近よく友達と職業の話をしているんだけど、私は「好き」と「できる」と「やりたい」が全部カチ合っているという点で、とても仕事に向いているなと思った。彼氏はよく私に「才能があってすごいね」と言ってくれるけど、私は(冷静に考えると)べつに才能は持っていないと思う。ただ、適材適所を見極める力があっただけ。今の副業を見つけてなくても、私はライティングでちまちま金を稼げてたと思う。

とはいえ、別に、本業では年がら年中記事を書いているわけではない。超苦手なデザインの編集業務がほとんどを占めていた。ただ、「デザイナーのために赤字をいれる」ことは私にとって「文章を書いて人に何かを伝える」という点でライティング業務と精神的に何ら変わることはなく、やっぱり好きな仕事だったんだろうと思う。そういう好きのかたちもアリだなと就職してから気付いた。

好きなことを仕事にするのが良いか悪いか、ってよく話に上がるし、友達との会話の中でもよく出てくる。どっちの言い分もわかるけど、できる仕事を見極めて、好きになれたらいいよねえと個人的には思う。私は好きな仕事をしているけど、逆に言えばそれしかできないからこの仕事をしている、とも思う。数字にも弱いし、営業なんか無理だし、そもそも体の構造的に上手に喋れないようになっているから、だから、最終的に、書くこと、それしか私にはできることがない。

仕事に迷っている友達、いっぱいいるけど、一部を除いて多くの人は、何かができないんじゃなくて、だいたいなんでもできるんだと思う。私だって、理系に進学できてたらIPS細胞の研究者になりたかったし(実はこれが一番デカい夢だった)、獣医になりたかったし、看護師になりたかった。ちゃんと機能する舌があれば国語教員になりたかったし、歌手にもなりたかったし、もう少し文才があれば作家になりたかった。最後のはまだちょっと諦め切れてないけど、とにかく、できることが多かったら、迷っちゃうよね、って思う。好きなことが決められない、仕事が決められない、っていう悩みも、個人的にはちょっと眩しくてうらやましい。本人達は辛いのかもしれないけど、迷うほど選択肢があるのは素敵だと思う。

なんかジメジメしてしまった。今日言いたかったことはここまで。でもここは私の日記だから、思いついたまま私の言葉について書くことに決めた。

私は(まあ1度会ったらわかると思うけど)普通に吃音症だ。親が無駄にコネを持っていたので、無駄に大学病院を受診し、無駄に研究されたことがある(今は知らないけど、私が小学校の時は全然解明されていない病気だったので、20人くらいに研究されてしまったらしい。あんまり覚えてない)。精神科にも行ったし、咽喉科にも行ったけど結局理由ははっきりせず、ただ『舌の動きが常人よりも悪い』ということと『精神的に落ち着けばそのうち治る』とか、『死ぬまで治らんけどマシにはなるんじゃん?』とか、なんかあれこれ言われたけど忘れた。

小学生の頃は今の500倍くらい超弩級吃音女だったので、5文字とろくに話すことができなかった。作文ならいくつも賞状をもらっていたのに、死ぬほど行きたかったスピーチの大会に『話せないから』というだけで出られなかったことが死ぬほど悔しかったことだけ覚えている。私の代わりに出た学校代表の子は予選落ちをしたが、今でも、私の口がまともに機能していたら、私は最終選考まで残ってアメリカに行けたはずだと思っているし、普通に今でも死ぬほど悔しい。

逆に言えば、そのスピーチの件以外で色濃い思い出は特にない。別件でいじめられたりいじめたりはあったけど、吃音の件で人にいじめられたことはなかった(明らかに異常者だったのに、周りの子供たちも人徳者だったなと思う)ので。

それでも普通に毎日が地獄だったし(意思疎通が不可能な状況で、呼吸もままならず、周りから24時間ヤバい目で見られづけることを想像してほしい)、小六で自殺を考えたり、筆談ができるぶん耳が聞こえない方がましじゃね?と思って鼓膜をおわらせようとしたりもしたけど、このへんは言いたいだけでほぼ記憶に残ってない。中2で化粧を覚えて体重もガクンと落として、(当時の自意識的に)美少女になった私は、おしゃべり苦手ですテヘヘと言う術を覚えてメンタルリセット。モデル事務所に入って人前でニコニコするレッスン延々受けてみたら、けっこう治ってきた。

吃音症はメンタル半分、身体異常半分だと思う。そんなわけで私はメンタルの部分はだいたい治ったので(メンヘラではあるが、発言を許されないほど自分が無価値とは今は思ってない)、舌が動かないのはもう仕方ないと思うんだよね。というか、実は私、友達以外にはまあまあマトモに喋れる。…吃音って、「明日遊びに行きたいね」が発音できないときでも「ねえ、〇日って暇?」は言えるとか、とても微妙な舌の塩梅で発生するので、言い換えを常に用意しておけば吃音0で会話することもできるんだよね(電話はまた別なので、苦手)。それでも親しい友達の中で吃音10くらいになってしまうのは、言い換えできないほど話したいことがあるか、「まいっか〇〇ちゃんだし」と思っているから、だったりする。酒乱が酒で醜態をさらすときと同じ心理だ。

うーん、とりとめなく思い出してきたら、地獄みたいな気持ちになってきたけど、別に泣いたりすることもなくヘラヘラしている。ただ『人と意思疎通がはかれず、人間の9割ができることが自分だけできず、24時間ヤバい目で見つめられながら過呼吸を起こして生まれてきたことを真剣に後悔する時間』は私の人生の中でも、ダンチでヤバかった。「家族関係でぴえん」「男女関係でぴえん」「お仕事でぴえん」は今までもたやすく言葉にしてきたけど、『本気で生まれてきたことを後悔していた時のこと』は全然言葉にできない。実はこのブログが人生初『吐露』である。詳細は嘘みたいに思い出すことができないし、脳が考えないようにしてるんだと思う。首を吊ろうとしたとき、親が泣いたこととだけは覚えている。

私は、どちらかといえば、不幸をネタにして、自分を特別だと思い込む性癖を持っているタイプの人間だと思っていた(そして人類の半分くらいはそうだと思っている)。でも、本当につらいことはなんか、言えねえんだな、という嫌な気付きを得た。でも、今日はこうして、ごく少数の読んでるんだか読んでないんだかわかんない友達に向けて発信することができた。これから少しずついろんな友達に話して、笑ったり同情してもらったり、そうやって消化していけたらいいと思う。

あまりにもとりとめがなくなってしまった。私は『本当に嫌味』に聞こえるだろうなと思うからこんなことはいわないけど、マトモに喋れる友人諸氏に対して本当に『しゃべれるんだから、なんでもできるじゃん』と思っている。妬みでも嫉みでもなくて、ただ純粋にそう思っている。私が世界で一番欲しいものを生まれつき搭載しているみんなたち、何かで辛くなったら『しゃべれん人もいるし』と思って元気出してほしい。声がまともに出さえすればなんでもできるって私は本当に、本当にそう思っている。