10日以上日記を続けられたことがない

三日坊主は意地でも回避するのにね。

会社の同期がブログを始めたっていうから、そういえば…と思って2018年に作ってそのまま放置してたここを発掘してきちゃった。今回もとりあえず三日、三日頑張ろう。

思うに、毎日起きたことをただただ書いていけば、日記って続くと思うんだよね。でも私はなんとなくブログにも起承転結つけたくなっちゃったり、言いたいことがありすぎて熱く語りすぎたり、そういうところがある。だから続かないんだろうな。タスクとしてちょい重いもんね。

ちょっと気になったので過去のブログを見てみた。たった2年前のはずなのに、めちゃくちゃ馬鹿で死にたくなっちゃった。馬鹿っぽく生きることをかっこいいと思っていたのか?普通にしているつもりでこんな馬鹿なブログをつけていたのだとしたら、普通に恥の上塗りになりそうだからやっぱり今年もブログなんて辞めてしまいたい。

2018年の私は、どうやら幸せだったらしい。元彼と同棲していて幸せ、ということと、家族関係が苦しくて今までずっと辛かった、という話が7日分書かれていた。その中で私は「元彼の家庭は幸せすぎるから、一緒に過ごしていると自分の不幸が際立って悲しい」ということを書いている。…今思えば、先方から「うち(元彼ファミリー)は幸せな家庭なんだから、付き合えていることを感謝してほしい」という態度で接されていたような気はひしひしとするんだけど、まあそれも逆思い出補正なのかなあ。

私は『幸せだ』と思い込むことがうまいんだなあと思うこともあるし、『不幸だ』って言うことがうまいんだなあと思うこともある。どっちのポーズとったほうがいいのかな、って考えることもある。

家庭環境は不幸だけど、ママが親でよかったなと思う。いじめられてた時は不幸だったけど、そのぶん人に寄り添うことができるようになったと思う。実家には住めないけど、住ませてくれる人がいてよかったなと思う。会社が潰れそうで不幸だけど、楽しい副業を見つけたことは幸せだと思う。…多分、私は『普通』なんだな。数学の0点と国語の100点、あわせて50点!そんな人生だったって書きながら思った。不幸な人を見ては羨み、幸福な人を見ては悲しみ、そういうところはまだあるけど…まあ、どっちもわからんではないし。お得かな?わかんないけど。

今日は一日だらだらしてた。会社の状況がマジでやばいというような話を同期として、こうなって初めて、結構好きな会社だったな、と思っている。

私は本当は作家になりたくて、でも妥協して編集者を目指して、これ以上は妥協できないって思って…まあまあ待遇のいい弊社に就職した。仕事は単調でつまんないし、たまに取材に行って記事を書いたりするのはたのしいけど、カタログ作りなんて本当につまんない!早く転職したい!って思ってたのに、なくなっちゃうかもと思うととっても悲しい。私はずっと『こんな仕事!』と思ってたけど、担当者が『天才編集者!』って言ってくれたことはやっぱり嬉しかったし、大手の出版社に行ってたら、一生言ってもらえなかったかも、と思うとやっぱり幸せだって思う。

会社の同期に会えたことも結構嬉しかった。私は友達の取捨選択がすごいタイプだから、ちょっとでも不愉快になったら一緒に居られなくなってしまう。同期とは喧嘩もしたし、うるせえ~と思ったこともあるけど、結局面白いから一緒に居たいと思うし、それもよかったな。まさか社会人になって友達ができると思ってなかったし。まあ、よかった。彼女は人付き合いが上手い、ってだけなのかもしれないけど。

彼氏も正直妥協で選んだけど(勢いで元彼と別れてからは友達の家を泊まり歩いていたので)、まあまあ運が良かったと思う。彼の家も幸せな家庭だけど『図書カードをもらったので、家族でわけようと思って』という手紙とともに、彼の母親から二枚、私と彼氏のぶんの図書カードが届いた時はめまいがした。ほかにも手作りのマスクとか、レトルトのパウチとか、いろいろと全部二個セット、明確に私のぶんまで考えて送られてくる度に、私はよっぽど実の家族よりも家族っぽさを感じる。居場所があることは嬉しい。

こうやって整理していくと、幸せだな、って思うことが多いはずなのに、なんか今日は気分の上がらない一日だった。まあ幸せな人間も365日幸せじゃないんだろうけど。結局私は世界のみんなを『幸せ』と『不幸せ』に分類して、自分はどちらとも違うって思いたいエゴイストなんだろうか?自分の居場所が欲しいなと思う。

なんか日記っていうか『今日考えたことのまとめ』みたいになっちゃった。でも思うさま自分語りできるのはいいね。楽しいね。ずっとこうしてたいね。今日は全然だめだった。昼メシも夕メシもコンビニで済ましちゃったもん!

まあでもコンビニが家の側に存在していることは幸せだね。そういうことか。